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尖閣諸島 魚釣島の山羊(ヤギ)問題

日本青年社が灯台建設時に持ち込んだ山羊のせいで尖閣諸島魚釣島の貴重な動植物の生態系が崩れ相当のダメージを受けている。

追加;「昔は 動植物を放つのが常識だった!」を下方に追加しました。
尖閣諸島 魚釣島の山羊(ヤギ)問題_a0103951_5435450.jpg

「尖閣諸島の実行支配」と言う偉業を語らず生態系問題のみを誹謗中傷する人達へ

左翼と言われる人達や妬んでいるいる人達だと思いますが、そこだけを非難する人達の件は後に「妬みと綺麗事」のエントリーとして取り上げるとして(笑)
まずは山羊が上陸した経緯についてお話をして行きます。


なぜ山羊が上陸したのか?


日本青年社総本部HPより尖閣諸島 魚釣島の山羊(ヤギ)問題_a0103951_5411549.jpg
http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/020823isigaki.htm

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与那国で天候待ちの日々、私達上陸決死隊は、島の人々の温かい思いやりや、ご助言をいただきました。昔、家を建てる為に木材を魚釣島から運んだ事や、台湾の漁師がアホウドリの卵を採集に上陸していた事など、尖閣諸島に関する貴重なお話を聞かせてくださり、。食料の事など心配してくださいました。我々決死隊は悪天候や船の故障等色々な状況を考え、万一魚釣島に迎えの船が来られない場合を想定し、食料(缶詰、米、乾物他)は充分に用意していますとお答えしましたが、島の方々が更に最悪の場合を考え、山羊(やぎ)を持っていくようにと、雄、雌(子持ち)二匹をプレゼントしてくださったので有り難く好意に甘えました。

 そのような事が切掛けで、山羊が我々決死隊とともに魚釣島に渡ることになったのです。翌年に灯台点検の為、魚釣島に訪れると数えるほどでしたが、数年たち、すごい繁殖力で数百頭に増え、入江前で停泊している船まで山羊の臭いがするようになりました。隣国台湾の新聞では魚釣島で山羊が繁殖し、山羊島だと報道されていました。同じころ沖縄県では、琉球大学池原貞夫教授を団長に、尖閣諸島の植物等調査の為調査団を派遣しており、魚釣島に上陸した池原教授は山羊を見て大変驚かれ、近い将来植物の生態系が変わる事になるだろうとの記事が調査後、地元新聞にコメントとして載っていました。

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日本青年社のHPでの説明は以上です。

ここからは、当時の状況を知る人の話を中心に当時の状況を振り返って推測してみたいと思います。


まず、HPの説明と当時を知る人の話では、

島の住民が大変よくしてくださった。と言うこと。

その好意的な島民の人達が万が一を考えて

山羊を持って行くようにとプレゼントしてくれたこと。


*普通、このような状況でこの島民の好意的なプレゼントを断ることは出来ない。

*また、当時無人島と言う場所で、もし”万が一”嵐で帰りの船が来れない状況が発生した場合!
と言うサバイバル訓練顔負けのリアルでの自給自足の状況はたしかに有り得る!と考えるはず。

*島に関する事は地元の島民の人達が一番良く知っている為に島民が必要と言うのならば誰もが”山羊は必要”と思うでしょう。


*また約30年前の当時は、隊員の誰もが”環境問題”であるとか、”生態系”と言う言葉すら聞いた事が無い可能性があり、つまり環境問題・生態系云々と言う言葉が使われるようになったのは現代になってからである。

*今から30年前に生態系の重要性を知っていた日本人はどれほどいたというのだろうか?


*まずこのブログを見ている人の中で、「山羊が島の動植物を食い荒らすので島に持って行ってはいけない?!」と言う知識を30年前に持っていた人がどれほどいるのだろうか?


*島の生態系云々とズベコベ言う人達に直接聞いてみたい。わたし著者は30年近く前に生態系とか環境問題と言うそのような認識も知識も無かった。

もし環境問題が今のように騒がれていたと言うのなら証拠を貼って頂きたい。

(1978年です。楽しみだな~。・・・・おい!水俣病の記事を貼るんじゃねーぞ(笑))


また、もし仮に隊員の誰かが環境問題に関して少々の認識があったとしても・・・・・

*そこで重要になって来るのが、島の人達から好意的なプレゼントを貰う立場と状況です。

島の人達の”助言”と言うと東京から行った者からすると知識や経験が我々以上にあるはずだろう?!と言う絶対的な助言として聞いているはずで、生態系云々綺麗事言っている場合では無く、誰もがただありがたく島民の好意をもらうはずです。


山羊を持ち帰って来なかったのは? 


読者の中には「好意で山羊を貰うのは仕方が無いが山羊を持ち帰ってくればよかったのでは無いか?」と思う人はいませんか?

*山羊を持ち帰って来なかったのは、「山羊は餌を与えなくてもかってに生きて行くものなのでいちいち持ち帰らずとも次回の上陸時に緊急食料の為にどうせ持って行くのだから山羊はそのまま置いて来なさい!」という助言を頂いた可能性があるでしょうね。

これはあくまでも推測なのですが。

保守管理の為に定期的に上陸するのが前提なので山羊を持ち帰る必要はたしかに無く、島民もそれを(置いてくるのを)前提にプレゼントしたはず。と考えるのが自然です。

青年社隊員は島民から山羊をいただいた時点で立場的にそのような指示も受け入れることになるのです。プレゼントの好意をいただくとは島民の指示に従うと言う事でもあるから。

なぜ山羊なのか?

先ほど
>「山羊が島の動植物を食い荒らすので島に持って行ってはいけない?!」と言う知識を30年前に持っていた人がどれほどいるのだろうか?

と書きましたが、なぜ島民は山羊をくれたのか?と言う事なのです。豚や牛ではダメなのか?鶏ではダメなのか?と言う事なのですが、山羊はそこらにある物をかってに食べかつ増殖力が強いので嵐や食糧難の中でも生き残る可能性が他の動物より高い。

つまり島民は”放し飼い”にすることを前提として山羊をプレゼントしたのはあきらかです。

繰り返すが、あのような状況と立場で、島民から「山羊という緊急時のプレゼントを貰う」とは、そのような指示も同時に貰うことを意味するのだ。



当時、生態系だとか環境問題だとかあったか?

生態系だとか環境問題が騒がれだしたのは現代になってからで。現在の価値観で30年前の当時にさかのぼって青年社の責任を追求することは誰も出来ない。(東京裁判じゃないんだからさ。{事後法})

誰もが同じ立場に立てば島民からありがたくご好意をいただく可能性がある以上は誰もが青年社を責めることは出来ないと考えます。



ではマズイのは何か?

「生態系よりも中国政府との関係を優先させた政府」

日本人が自由に尖閣諸島に上陸出来るのであれば、青年社が山羊大捕獲作戦をやっているのです。山羊が騒がれだした頃、その頃には大人数で簡単に上陸することは不可能です。民間で出来るものでは無く政府が音頭をとってやらなければならないでしょう。

山羊が600匹いるとすれば一人10頭捕獲するとして60人もいれば数日で終わったのです。



このようにかくして、山羊は増え島の生態系が破壊された。しかしその責任は青年社には無く放置させた日本政府にあると言う事なのだ。



山羊が上陸してしまった経緯は島民の好意であり断る事は出来ない以上は、不可抗力とみて仕方がない。その後山羊の捕獲が民間では出来ない以上は政府がやらなければならず。やらないと言う事は、「生態系よりも中国政府との関係を優先させた」わけだから。


捕獲しようにも出来ない青年社をどうして責めれると言うのか?

放置している日本政府を責めないのかい?




「昔は 動植物を放つのが常識だった!」

山羊は元々そこに居た可能性もある。



http://homepage1.nifty.com/NANKIN/perry.htm
魚拓

☆救護規定――琉米条約の履行のために
 
 明治十八年の魚釣島久場島探査の際に、沖縄県の役人石澤兵吾等が、石垣島から連れていった鶏のつがいをはなったと記録されている。また明治二十四年には米人遭難者救助のために出向いた警部武林哲馬・県属戸田敬義が、大東島に、鶏や豚や兎や山羊をつがいで放ち、様々な植物・野菜を植えている。そして「大日本帝国沖縄県下大東嶋再記」と書き杭をうったと報告した。「其他十八年移植せしもの如何を探究するに、蕃藷七、八株と鳥類は鳥二羽を認むのみ。」としている。明治十八年に魚釣島だけではなく、大東島にも鳥を放っていたのである。鶏であろう。そして蕃藷等を植えてもいた。この蕃藷等を植えたことは、明治と十八年の報告書には書かれていないようである。魚釣島にも、この年に大東島と同じように、幾つか植物が植えられた可能性が高い。少なくとも、蕃藷は間違いなく植えたであろう。
 大航海時代の西洋の航海記には、無人島に、家畜をはなち、食用植物を植えたとよく書かれている。難破船乗組員救護のためであろう。いざというときの非常用食糧とするためである。
 日本政府が家畜を放し、植物を植えたのは琉米条約の履行という意味があると思われる。そうだとすれば、条約の救護規定を明治新政府が守ろうとしたことがわかる。山県有朋内務卿の指示によってなされたことは間違いない。
 日本政府は無人島ならどこでもこういうことをしていたわけではない。琉球の無人島に対しておこなっているだけである。それにはこういうわけがあったのである。領域の端にある無人島の帰属は不明確で万全ではない。その上、琉球の帰属自体があやういとみられていたので、実に慎重にことが勧められていることがわかる。
 
☆実効支配
 
 家畜を放ち植物を植えているのは、単に救護のためだけではなく、開拓の第一歩という意味が含まれているとも思う。琉米条約の履行ということでも理解できるが、しかしより重要な意味があると見るのが正しい。広汎な実効支配の実を示すためである。そこで再度、尖閣諸島や大東島でおこなわれたことを確認してみよう。





なんだ?! 昔は 動植物を放つのが常識だったのか・・・・・ワッハッハッハッ ( ´,_ゝ`)プッ


なるほど!と思われた方。

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by nihonseinensha | 2007-09-12 04:36 | 魚釣島の山羊(ヤギ)問題
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